この前の日曜日、芝居組 虎さんの舞台「海峡の7姉妹」を見に函館へ行ってきた。
海峡の7姉妹は1,155名もの死者・行方不明者を出した洞爺丸事故を教訓に誕生した7隻の連絡船「海峡の女王」と呼ばれた「津軽丸」「八甲田丸」「松前丸」「大雪丸」「摩周丸」「羊蹄丸」「十和田丸」を主人公とした舞台。
船の形を模した帽子を被ったお姉様方が動き回るのは最初はコミカルだなと思ったが、段々と普通に泣ける展開に...。
青函連絡船がどういった経緯を辿ったかは多くの人が知る話だと思う。
青森で切れてしまった鉄道路線を船を使って繋げようというエキセントリックな発想で北海道と本州の物流を繋ぎ、昭和の経済を支えてきた。
しかし、青函トンネルの開通で役割を終え、歴史に幕を閉じた。
と、自分が前知識で知っていた話はこんなものだ。文章にしてしまえば教科書で習った「歴史」でしかない。
しかし、船それぞれが個性を持って擬人化されると意味合いが大きく変わってきた。
経済成長期の忙しくも充実した雰囲気を感じさせる序盤、徐々に自分達の役割の変化を感じる中盤、そして青函トンネル開通により役割を終え、散り散りになる7姉妹。
特に最終運行のシーンは印象的で堪えていたものが我慢できなくなってしまった。
大した前知識もない自分でもそうなのだから、リアルタイムで青函連絡船に乗った、働いた等、思い入れのあった人達の感慨深さといったら、なかったろう。
会場からはすすり泣く声がそこかしこから聞こえてきた。
なんなら、今この文章を書いている自分もまたウルっときているくらい。
それにしても演者さんとは凄いものだ。
素人からすると船を擬人化して感情があるかのように演じる、というのはまぁまぁ意味の分からん話だと思う。
それを観覧している方々が当時の連絡船7姉妹が演じれているように本当に思っていたんじゃないかと感じさせるのだ。
連絡船に話を戻そう。
現存している、海峡の女王は函館の摩周丸と
青森の八甲田丸。
(青森の八甲田丸の方がHP立派だな。頑張れ摩周丸)
どちらも現在は記念館として運営されている。
ロードスターで函館に行くことはすでに考えていることなので、その日には必ず両方見に行こう。
自分が函館の友人や虎さんの舞台を見に盛岡からたったの2時間で行けるのも、海峡の女王達の活躍があったからこそなのだから。