みなさん、こんばんは。
さて、今日のお題は先日、K-1 MarkⅡさんがうちに来て3年が経った、という話です。
今回はレビューというより、この相棒への愛を語りたいと思います。
♡頼りがいがある♡
愛してるポイントその1はタフギアっぽさです。
実はフルサイズ一眼にステップアップする時、その最有力候補はK-1Ⅱではなく、ソニーのα7Ⅲでした。
当日は今ほどPENTAX、PENTAXしてなかったこと、フルサイズミラーレスの先駆者として絶好調だったソニーの将来性、純正・サードパーティのレンズの豊富さ、もちろん性能、理由は様々ですがα7Ⅲはほとんど死角のない理想的なステップアップ先でした。
まぁでも念の為、ということで実機を触りにカメラ屋さんに行ったのですが、その3日後には
K-1Ⅱが届いていました。なぜなのか。
α7Ⅲはとても優秀なカメラですが、実際に手にとってみると拍子抜けするほど軽く、頑強さに欠けているように思えました。
それは小型化できるミラーレスの特徴なのでしょうが、なんか「これじゃない感」というか「欲しいというよりも条件で選んでいる」という感じがしました。あくまでわたしの感想です。
そこで使っていたK-S2はPENTAXだし、一応...という感じでK-1Ⅱを手にした時、雷に打たれました。
ほら、結婚する相手に初めて会った時ってそうなるんでしょ?あれですあれ。
中身が詰まっていて、ガチガチに固くて屈強。
それは カメラと言うには あまりにも重すぎた
大きく ぶ厚く 重く そして 大雑把すぎた
それは 正に 鈍器だった
(フルサイズ一眼レフとしては小さいんだけどね)
たぶん、K-1Ⅱの頑強さなら上弦の鬼の攻撃も防げると思います。おれ柱になれる。
基本的にフィールドでの風景写真がメインの自分にとって、タフギアっぽさはとても重要でした。
そして、その「っぽさ」をもっとも体現していたのがK-1Ⅱだったというわけです。
♡写真の奥行き感♡
次のラビュラビュポイントは写真に奥行き感がある、ということです。これはもう完全に自分の感じ方ですが、画素数以外の性能で大幅に上回るK-3Ⅲと比較しても際立っているように思うのです。
それが画素数からくる臨場感なのかなんなのか分かりませんが、面としての写りはK-3Ⅲだけど、奥行きも含めるとK-1Ⅱのように思えるのです。
センサーが大きいのだから、表現力はたしかに上かもしれません。
そのため、K-3Ⅲが加わった今でも自分の必殺カメラはK-1Ⅱです。
♡唯一無二♡
最後はアイデンティティです。
K-1Ⅱは発売当初から「今出すのにその性能?」みたいなカメラでした。そんなもんだから、最新のフルサイズミラーレスなんかと比べたら、時代遅れも時代遅れ。2世代くらいは古いでしょう。
だが、それがいい!!
いいじゃないか、時代遅れ!!
スペックでカメラを選ぶようになったら、上がないのです。キャノンやソニー、ニコンのフラッグシップを買ったとしても表現力ではLeicaの存在がチラつくかもしれません。
その点、K-1Ⅱは現行機種では唯一無二の個性を持っています。
変なチルト液晶、先に述べた変態的なボディ剛性、抜群のグリップ、FA Limitedのような変態レンズをフルサイズ画角で使用できる...。
最新フルサイズミラーレス機と比較するとしょぼい3640万画素も絶対値的には高画素機です。
広いファインダーを覗くと、自分の目で見るよりも美しい景色が広がっている。
思わずシャッターを切る。カシュッと軽くて上品なシャッター音。背面液晶で確認する。
いい。すごくいい。
使うことの喜びにあふれているカメラです。
記録写真の役割がスマホに取って代わられて幾星霜。
カメラがカメラたらん価値は「写真を撮る」ことではなく「写真を撮る体験」に変わりつつあると思います。
その点において考えるとK-1Ⅱは非常に優れたカメラです。
いやほんとはよく知らんけど。
K-1Ⅲの登場はまだまだまだまだまだ先のよう!(もしかしたら、登場しないかも)
だから、これからもよろしくな!相棒!!