1週間仕事頑張った金曜の夜に見る映画といえば、そう、ラピュタですね\(^o^)/
おそらく50回くらい見てる(笑)
ラピュタもそうですが、ジブリ作品って見る歳によって、常に感じられる・考えさせられる物が変わっていくように感じます。
なので、何回見ても飽きないし、こうして長く長く愛されているのだろうと思います。
ちなみに私が一番、好きなのは「もののけ姫」。
いつか、もののけ姫についても話したいです•̀.̫•́✧
私が近年、ラピュタを見ていてよく考えることは、シータが寝ているのに無邪気にトランペット演奏しだすパズーの気の利かなさ・・・ではなく、パズーにとっての父親の存在です。
劇中、ちょっとしか登場しないし、セリフもない、パズーパパですが、ラピュタはパズーパパなしには成り立たないとさえ、最近は思います。
それはパズーパパなしにパズーという少年はないからです。
そりゃ生命の誕生のルール的に当たり前だろ、って話じゃないですよ。
そんなことは分かってんじゃ。
パズーの人となりの話。
パズーは父親が周りから詐欺師扱いされても、自分で飛行機を作り始めるくらい、自分だけは父親のことを信じていました。
もちろん、辛い日々だったと思いますが、常に父親の見たラピュタを信じていたからこそ、シータとの冒険が始まったのです。
パズーにとって、いかに父親が大きな存在かはあの危険な龍の巣に飛び込んでいった時の言葉からも伺えます。
「父さんは戻ってきたよ!!」
これほどにまで信じている父親の歩んできた道。
龍の巣の中で父を見たことからもパズーが父の背中を追っていたことがよく感じられますしね。
パズーをこの壮大な冒険へ導き、そして「男の子」から大切な人を守るために決して諦めない「男」へと成長させた、決して語られぬ父の存在。
きっと、パズーにとってとても尊敬できる父親だったのでしょう。
私が近年、ピュタを見ながら、パズーパパのことをよく考えるようになったのは紛れもなく、自分の父親の存在を意識するようになったからでしょう。
私の父はよくある昭和の男で、仕事が忙しく、遊びに連れて行ってもらったことも学校行事に来てくれたことも家で遊んでくれたことも、ほとんど記憶にありません。
優しいけど、いつもちょっと近寄りがたい人だった、父。
しかし、父は決して家で仕事の愚痴を漏らしたり、長男として田舎に残り、土地を守る苦労も子どもの私達に感じさせたことはありません。
年月を経て、自分も30になった現在。
仕事や人生で判断に迷った時、よく「父ならどうするか?」を基準に考えます。
実直で寡黙で感じにくいけど、家族を大事にしていた父。
小手先で出し抜こうとせず、お客さんに常に誠実で嘘のなかった父。
他人の偏った言葉で人や物事を判断せず、冷静に自分の目で現実を見据えていた父。
父とはほとんど何の思い出をありませんが、誰よりも尊敬できる人であり、同時に自分がいつか越えていきたい人物でもあります。
そう思える父をもったことはこの歳になって感じられる最上の幸せです。
パズーにとっても父の存在はそうだったんじゃないかなぁと思うわけです。
イクメンパパも、家事大好きパパも、もちろん、文句のつけようのない素晴らしいパパさんですが、私の父のように「いつかその存在が自分の生きる方向性を支えてくれる」という父親像も悪くないと思います。
この前の父の日に、いつもありがとう、とメールを送ったら、父の返事にはこう書かれていました。
「これからも息子に尊敬される父親であり続けられるよう頑張ります」
めちゃめちゃかっこよくないですか?
私もこんな立派な父親になりたいですね。
子どもいないけど。
嫁さんもいないけど。
てか、彼女もいないけど。
なんか、結局、私の父の話になってしまいましたが、シータも大好きですよ!
パズーの背中がどんどん大きくなっていくのに負けじとシータがムスカと対峙するシーンはまさに女性の強さが凝縮されていると思います!
このシーンね!
キリッと眉をあげ、恐ろしいムスカをしっかりと見据えています。
王だけ生きているなんてっ滑稽よ、と言っているものの、その凛とした立ち振舞いはまさに王女そのものだと思いました。
きっと女性から見ると、パズーよりもシータに対して考えさせられることが多いのではないかと思います。
是非、それがどんなものか聞いてみたいですね。